1926年富山県出身。海軍軍楽隊に入隊し、そこで音楽の基礎、並びにサクソフォンを習得。終戦後間もなくプロに転じ、1951年弱冠24才にして初めてオーナー・リーダーのジャズ・オーケストラ「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成。以後今日まで、常に斬新な試みに挑戦し、多彩な演奏活動を繰り広げ日本のビッグ・バンド・ジャズ界を常にリードし、第一線にて活躍中。その間、同楽団で育成した名プレーヤーは数知れず、オーケストラ・ジャズを目指す全ての人々の頂点に立ってきた。また、経営の難しい、そしてまとめることの難しい楽団を50年に渡り、常にトップクラスの楽団として維持し、我が国の音楽文化の発展に寄与。
 名リーダーとして辣腕を揮う一方、作曲家としても優れ、美空ひばりに提供した大ヒット曲「真っ赤な太陽」をはじめ、多くの佳作を世に送り出してきた。その人間性そのままのヒューマンなメロディと重厚なハーモニーは歯切れの良いリズムと相まって、ジャズファンの心を魅了してきた。
 また、若いアマチュア音楽家に対する支援団体「青少年ジャズ・ミュージック・サクセション(JMS)を設立し、北海道や高知でのクリニック及びコンサートを行い、さらに音楽教育活動の一環として、中・高等学校の芸術鑑賞会にも積極的に参加している。
 こうした幅広く精力的な活動によって、「南里文雄賞」「芸術祭優秀賞」「芸術祭賞」「日本レコード大賞/功労賞」など数々の賞に輝き。「紫綬褒章」を受賞。また永年の日本の音楽文化に対する貢献が高く評価され「勲四等旭日小綬賞」を叙勲した。
●原信夫